離人症について

離人症は「気にしなければ治る」のか

sushino

離人症の治し方として定番の説がある。それは「離人症を気にしないこと。離人感に目を向けないで、普段どおり過ごすこと。離人症のことをネットで調べたり、SNSで当事者の悩みを目にしないこと」だ。

当事者としては、離人症を気にせず過ごすことなんてできるの?と思ってしまう。今回は、そこについて少し考えてみる。

離人症は「気にしなければ治る」は本当か

「気にならなくなった」が正解なのでは?

私は思う。「離人感は気にしなければ治る」というのは、本当は「メンタルが回復したから離人感が気にならなくなった」ということなんじゃないか?と

しゃっくりで例えてみよう。しゃっくりが起こっている間は不快だが、気づくと知らない間に止んでいる。それを「気にしなかったからしゃっくりが治った」と表現する人がいたらどうか。

しゃっくりが収まったのは、横隔膜のけいれんが収まったからである。横隔膜のけいれんが収まって、しゃっくりが収まってきたから、だんだん気にならなくなって、いつの間にかしゃっくりしなくなっていたのだ。

今回の離人感の話に当てはめると、おおもとのメンタルが回復してきて離人感も薄まってきたから「離人感が気にならなくなってきて、いつの間にか治ってた」ということはないだろうか。

解離や緊張をしていなくても心が保てるようになると離人感は消えていくのでは?と考えている。

気にしなくて治る場合はどんなときか

単純に「いや、普通に離人感を気にしなかったら治ったよ」という人もいるかもしれない。それはそれでいい。だって、治ることが一番なのだから。

「気にしなくて治る」という可能性が高いのは、離人感が一過性であるか、慢性でも軽い場合ではないだろうか。あるいは、離人感の原因が一時的な不安のみで、トラウマが関係ない場合とか。

PTSDによるフラッシュバックはドラマみたいに派手なものばかりではない。映像でフラッシュバックしなくても、嫌な感情だけが無意識にずっとフラッシュバックしている場合もある。

最近は、複雑性PTSDの話題もよく聞く。事故や事件の強烈で瞬間的なトラウマを持っていなくても、家庭の不和やイジメでもトラウマになるしフラッシュバックも起こるのだ。

意思に反して、知らない間に体は勝手にフラッシュバックしている。「嫌なことは思い出さなければいいとか、考えなければいい」とか、そういう単純なことではないのだ。

「気にしなくて済むには?」が重要だ

離人感を「気にしない」のは難しい

私は慢性的で強度な離人感を持っている。だから「気にしなければ治るとか簡単に言うんじゃないよ」と傷ついている。傷つくのがわかっているから、治し方の動画とか軽率に見ないようにしている。適当なことばっかり言ってると感じるから。

たとえばインフルエンザで高熱を出しているときに「熱を意識せず過ごす」ってできるだろうか。あるいは、度が強すぎる眼鏡をかけていて、視界のゆがみを意識せずにモノを見ることができるだろうか。大げさな例えだけど、そういうことだ。

もう、私は離人症を通してしか世界を認識できないのだ。それで認識するほかないのだ。しかも、五感すべてがやられている。度のキツすぎる眼鏡をかけ、音のしないイヤホンをし、鼻と口にフィルターを詰められ、そこから着ぐるみを着ているように。

私レベルになると、離人感を意識せず過ごすのは難しい。

気にしなくて済む環境を作ること

私たちは自分でも気づかない感情のフラッシュバックに苛まれ、加えて情報過多・スマホ中毒の時代を生きている。私たちは、毎日ぐるぐると考え続けているのだ。脳の過積載、反芻思考、過剰な自責。

防衛反応として頭を動かしているから、その状況で解離からは抜け出しづらい。逆に、解離することで自分を守っているという側面もあるし。頭が休まらないと、解離からも抜けられないのだ。

そしてまた「気にしないようにする」というのも脳に負担をかける行為だ。我々トラウマ民が「気にしないようにしなきゃ。がんばらなきゃ。ああ、また気にしてしまった」という沼にハマってしまうのは想像できる。

「気にしない」「考えない」というのは、過去のトラウマの声を見ないフリしているのにも近いから、身体が不満や寂しさを訴えてしんどくなるかもしれない。

だから、がんばって気にしないようにするのではなく、「気にしなくて済む」「気にする余裕もなかった」という環境や状況を得ることができればチャンスなのではないだろうか。それを自分で作るのは、難しいのだけれど。

脳のワーキングメモリを空けること

脳には「空白」が必要だ。布団に入って何もしていなくても、反芻思考が止まなければ体は休まらない。「空白」とは、警戒も緊張もしていなくていい余裕があるということだ。

PCでいうと、いくつものプログラムが同時に走っていて、熱を持ってほぼ固まっているような状態だから、プログラムをいくつか終了させて余裕を作らなければならない。

EMDRという方法

私の脳みそもそんな状態だが、そこにほんの少しでも空白を作る方法がある。それがEMDRだ。EMDRは、眼球運動やタッピング、音の刺激など左右交互の感覚刺激を用いて、トラウマ記憶の適応的な処理を促進する心理療法だ。

基本的にはフラッシュバックに対して行うものだが、目の前の動作に意識を割くことによってワーキングメモリの整理に役立つということもあるらしい。つまり、黒い点の動きを目で追ったりとかしているうちは、余計な考え事が減るのだ。

EMDRをやると、わずかに「脳の空白」を感じる。昂っている神経が、少し”落ちてくる”感じがある。うまくいえないけど。

EMDRでパニックになったり症状が悪化する人もいるので、まずはカウンセリングの中でやること。私はEMDRしても大丈夫な人なので、家でEMDRのアプリ(App Store)を課金して使っている(カウンセラーからもOKされた)。Youtubeでも観れるよ。

今回の記事は以上です。離人症の治療って、疲れますね。イメージだけで好き勝手言われてる感じがして。
今回書いた内容と似たことを↓の記事でも書いてますので、ご覧ください。

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すしの
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離人症当事者
離人症と緊張に悩む人。 Xアカウントで離人症の不満とかを発信。
Kindleにて漫画とエッセイをセルフ出版している。

【漫画】『離人症のおはなし』『離人症のおはなし②』
【エッセイ】『離人症です。』『精神科とカウンセリングに通ってみた話。』
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